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《2046》

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ウォン・カーウァイの2046、やっと新宿で見て参りました。久しぶりの新宿文化シネマはこぎれいになって、ミニシアターに変貌していて、画面が小さかったのが残念ですが、映画は非常に良かった。

 ただ、この映画《花様年華》を見ていない人が楽しめるかというと疑問だし、一回で見て理解できるかどうかというと分かりにくい映画であることも確かですね。私の場合、事前に海外発売のDVD(中国発売の正規版、北京語音、字幕無し)で、見ていたので、楽しめたと言えるでしょう。(実際にロードショーで見るまでは書いてはいけないと思ったので控えていたのですが)

 2046という映画のタイトルは小説中の作品名でもあり、映画は2つの世界を往還しつつ描かれます。

A,主人公の小説家の恋愛模様を描く現実

B,近未来世界たる2046へと向かう列車を舞台とする小説の世界空間

 この二つの世界の主軸はあくまでもAにあるのですが、フィクションたる小説世界であっても結局は現実世界のありようを反映していますから、王菲(A:ホテルの娘、B:列車服務員のアンドロイド)や劉嘉玲(A:シンガポールの女、B:列車服務員のアンドロイド)のように、両方の世界に登場する人物も現れます。

 2046という所は、失った記憶をすべて取り戻せる世界であると説明されており、我が国の誇るトップスターたるキムタク(^^;)は、小説世界における主人公役として登場します。

 この映画をもし一言で評するなら「喪失感」といえるでしょう。主人公にとって、それは失われた恋人であり、永遠に満たされない理想としての愛なのかも知れませんが、この恋愛を通して表現される喪失感は一つの隠喩であって、映画の意図するものは現在の香港に生きる人々が感じざるを得ない喪失感なのではないかと思います。

 この映画を見ていて、改めてウォン・カーウァイがなぜ村上春樹が好きなのかが良く分かった気がします。

 それから余り誰も言わないようですが、ウォン・カーウァイの映画って、ほんと私(わたくし)小説的だな…と思います。私小説なんて読んだことのある人は誰もこんな映画を見ないのでしょうが、この映画も小説家が主人公で、その主人公は安ホテルでエロ小説を書きながら、隣の男女の交歓を盗み聞きしたり、あるいは逆にされたりしていて、まるで日本の私小説を読んでいるような気がします(^^;)恐らくはこうした環境というのは、多くの評論で指摘されるとおり、大陸渡来者として貧しい幼少年期を過ごした監督自身の経験するところだったろうと思いますが。

 作品を論ずるには準備が足りませんが、中国版(DVD)と日本公開版とで少しバージョンの違いを感じました。2046の小説世界の部分がやや多いこと(キムタクの出演時間が増えた…(^^;)、あとは中国版では忌避される床頭戲が若干増えていることでしょうか。キムタクとの絡みが多い王菲ファンの私としても、日本版の方が嬉しいです。日本公開版は1度しか見ていないので、やや正確さに欠けると思いますが。

 もう一つ気になったのは最後の梁朝偉が章子怡にいうセリフが日本版と中国版で違っていたこと。日本版では梁朝偉のセリフが広東語で字幕の日本語でしか確認できなかったのですが、中国版では北京語で「俺には貸せないもの(愛情)があるのだ」(カッコ内はワタシの解釈)と言って二人は別れます。この方がエンディングとしては良いと思うのですが、日本版ではそういっていませんね。ネタバレの恐れ大なので、そちらは省きますが。広東語をダイレクトに理解していたわけではないので、字幕翻訳者のトチリの可能性もありますが、疑問として書き残しておきます。

 最後は完全な個人的な好みですが、王菲のアンドロイド、なかなか良かったですよ。こういうのが似合う人ですね。あとは章子怡。こういう役が似合いますね。Loves十面埋伏での役はミスキャストでしたが、これを見ると、見事にはまっています。見直しました。ウォン・カーウァイの良いところは、その役者の地の味を引き出すところですね。

 見ていない人は絶対見ないと後悔しますよ(^^)。
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