このところ、必要に迫られて、北京に関連する映画を幾つか見直していたら、
北京ヴァイオリンを見ていないことに気づき、今頃になって見ました。やや展開に無理のあるところもないわけではないですが、やはり佳作ですね。どうしても涙腺が刺激されてしまうところは誰しも同じだと思うので、それは取りあえず措くとしましょう(^^;)
主人公である少年と父親が田舎から出てきて、いきなり北京駅で荷物運びをやらされたりして、田舎者ゆえのすごい蔑視を受けます。その時、偶然この親子と知り合うことになる、若い女の子もセリフでそういっていたかどうか分かりませんが、どうも外地からの人間のようで、私は映画を見ていて、そんなヨソ者達が映画の主役になるあたり、いかにも北京らしいな…と思いました。ヨソ者が何とか一山当てようと一生懸命になっているところ、それが北京というのは私の北京に対する印象と重なります。
もっとも彼らの夢というのも、なんとか金づるになりそうな男をつかまえようとか、いきなり国際的なコンクールに出ようとか、冷静にその部分だけを取り上げると、相当胡散臭いのですが、映画で見ている限りでは、彼らのひたむきさに胸打たれて何も言えなくなってしまいます。
映画のなかでも、少年も父親も最初こそは常識的な北京人には相手にもされず、コケにされてばかりで、妖しげなお姉さんも、最初は完全に少年を見下し人間とも思っていませんでしたが、だんだんと可愛がるようになり、最後は少年のために相当な犠牲を払うことになります。音楽教師の馬先生も変人であることに加えて、親子を田舎者だからと馬鹿にして相手にしませんが、少年の本気に触れてからは、逆に教師の方が感化されて堕落した生活を改めたほどでした。ひるがえって最初はまともに見えた陳凱歌監督自ら演じる音楽教師の方は腹に一物ある人物で、物語が展開するにつれて、どんどん逆に胡散臭見えてきます。
北京人がこの映画を見たらどう思うか分かりませんが、ある意味では純朴な田舎者達がその一途さゆえに北京で苦労しつつも何とか徐々に理解を勝ち得てゆく物語という風に見ることも出来るでしょう。その過程で浄化されるのは他でもない純粋さを失った都会の北京人、そして我々です。それだけ我々が忘れてしまった何かがここにはたくさんあるということでしょうね。
北京という街は色々な形容詞で語ることが出来るでしょうが、夢の実現のために生きる人々が集まる街ということは間違いありません。
もっとも映画のような成功を収めることは極めて例外的であり、実際の外地人差別はもっと苛烈ですが、それでも人々は北京を目指して押し寄せています。犯罪率の上昇という負の側面も含めて、北京はニューヨークのような街になるのかも知れないですね。
う、やべ、明日の授業の準備がまだ終わっていないのに…(^^;)