いまさら

六本木で宇宙メダカを放流(共同通信)
 スペースシャトルで宇宙を旅し た「宇宙メダカ」の子孫約1万匹 の放流式が25日、東京都港区の複 合商業施設「六本木ヒルズ」であ った。全国の小学生や保護者ら約 800人が「里親」になって飼育した メダカを持参し、宇宙飛行士の毛 利衛さんと敷地内の池に放流した。メダカは絶滅の危険が増大してい る種に指定されており、毛利さん は「この体験をきっかけに環境問 題も考えてほしい」と話した。

[共同通信社:2003年07月25日 17時52分]


そういや、六本木ヒルズも行こうと思いながら結局行っていなかったな。

六本木には周辺一帯にメダカの住めるような川や池がそうそうあるとは思えないので、宇宙メダカ事態の放流は問題なさそうですが、種の危機をわざわざ言うくらいならば、それを真似て本来の生育地域以外で放流をする人が出てくることを心配して欲しかったな。メダカの絶滅の最大要因はヒメダカや他の地域のメダカを勝手に放流することにあるのですから。

七月の記事をいまさらな感想ですが、六本木とメダカ、意外な組合せでした。
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大学B棟建設中!



今日何気なく九号館で法学部側の窓から下を見ると…
おおっ!だいぶ出来てきましたね。

写真は建設中のB棟です。大きすぎてPALMのデジカメでは撮り切れませんが、だいぶ建物の内部構造が見えてきました。竣工は再来年だったと思うので、まだ相当掛かるのでしょうが。

上の奥に小さく見えるのが旧図書館、二号館です。現在は会津八一博物館や自習室、高田記念図書館に使われていますが、非常に小さく見えます。それだけB棟がいかに大きいかがわかります。

この建物は法学部八号館の跡地に建てられるので、法学部が中心になりますが、政治経済学部も一部利用することになっています。B棟完成の暁には、C棟が建てられ、こちらは商学部専有となると聞いていますが、全くの計画段階です。どのようなものになるか、私には想像もつかない(^^;)です。
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甘泉園再訪

なんと池の水面には西早稲田パークタワーが映っている…


四時過ぎ久しぶりの慶應の授業を終えてから早稲田の研究室に戻ろうとして、急に思い立ち、甘泉園に久しぶりに寄ってみました。大学から目と鼻の先でいつも前を通っているのだけれど、中にはいるのは多分大学時代以来です。

入ってみると、どうも大学時代の印象と相当違います。もっと池も汚くて、ゴミだらけだった記憶があり、あまり良い印象がなかったのですが、それから整備されたのか、それとも私の勘違いなのか、なかなか情緒ある佇まいです。しばし池のまえの亭で一休み。…くっ、蚊に喰われた。やはり風流への道はほど遠いのでした(^^;)

こんど来るときは蚊取り線香持参だな(^^;)
って、たぶん十年後?
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筑波大学

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10/4,5に日本中国学会という大きな学会が筑波大学で開催されました。
で、どうしても聞きたい発表があったので、朝も早くから起き出して筑波まで出かけました。

ずいぶん昔に一度来たことがありますが、十数年ぶりです。やっぱり広い。バスで十数分走っても、まだ大学構内なんですから、狭くて人ばっかり多い私立大学から来ると、ほんとに感嘆してしまいます。

本来、狭いキャンパスなど自慢にもならないはずなのに、最近は「摩擦熱」と称して、人間がぶつかり合い(ほんとに!)、切磋琢磨して鍛えられると自慢していますから、聞いているこちらが恥ずかしくなってしまいます。こんなに広いキャンパスを歩いていると、どだい国立大学と張り合おうなんて、無謀なことだとつくづく思います。「摩擦熱」はともかく、ほかに勝負できるのは「人間」しかないわけで、勝てないまでも、負けないように頑張らねばなりませんな。

しっかし、こんな広いキャンパス、歩いているだけでも疲れます。土曜日のせいもあるでしょうが、人気がなさ過ぎます。日が沈んだら、絶対こんなところ歩きたくない!

…やっぱり私には狭くても汚くても早稲田の方があっているようです。(^^;)
一日歩いてほとほと疲れました(^^;)
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終電一つ前

だいすき、ちんちん電車
うー、もう眠い、ということろで日記を。
今日はタッチの差で都電の終電には間に合わないか…と思って駅に来れば、ちょうど三ノ輪橋行き最終が出たところでした。十時半過ぎが終電だと思っていたら、最近は十一時過ぎにもう一本有るらしく、終電の一つ手前に乗ることが出来ました。

都電はまともな勤め人のための乗り物ですから、山手線のように変な酔客は乗らないし、遅い時間でも混んでいないし、早稲田の図書館から借りてきたとおぼしい本を開いて熱心に読んでいる人もちらほら居て、落ち着いた雰囲気があって、好きです。

早稲田に教師として戻ってきて何が一番嬉しかったかと聞かれたら、都電に乗って通えることは相当高いランキングに入ると思います(さすがに一番ではないけれど)。

郊外にある大学に勤めていた頃、キャンパスで夕闇迫る頃に帰宅の途につくと、ほとんど人影もなくて、わびしくて、さびしくて、こんなことなら、研究室に長居せずに帰れば良かったと何度思ったことか。自然豊かなキャンパスもいいのでしょうが、自然しかないところでは生きていけません、ハイ(^^;)
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無事北京に着きました!

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とりあえずそれだけ(^^;)

疲れた!

明日が大事な本番なので、もう寝ます。

写真は北京空港のパスポートチェックの手前のところ。

検疫のところですね。
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北京の朝食

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さて北京二日目です。
どんな優雅な朝食かと言いますと、康師傅でありまして、これでなければ、牛角面包二つくらいしか選択肢がありません(^^;)
これから魯迅博物館なので、余裕がないので、やむえません(…と、夜書いている。もちろん朝はWeblogしている暇なぞない)。

インスタントコーヒーすらないので、コーヒーはお預けです(^^;)でも、時間がないので、仕方ないのだ…明日は少し優雅になるかな?
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魯迅博物館にて

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今回の北京出張のメインイベントです。
周作人研究-歴史と展望-というタイトルで、河南大学出版社が予定している周作人研究叢書の刊行を記念し、研究者があれこれ意見を述べるというものです。87年以来、17年間周作人に関する学会は一切開かれなかった(周作人が日中戦争中に北京の傀儡政権のもとで文部大臣の任をつとめたため)こともあって、87年当時の参加者からの「開催できて良かった」的発言が多く出される中で、今後の研究叢書の方向性について、重要な意見も出されました。

なかでも止庵氏の発言は今後いっそう資料の散逸を防ぎ、早期に関係者の証言や資料の整備をはかるよう訴えるものでしたが、彼自身がこれまで積み上げてきた「周作人自編文集」「苦雨斎訳叢」などの蓄積があるだけに、最も説得力のある発言でした。

一方、私も用意したメモを元に発言したのですが…緊張すると、中国語もなかなか思うようになめらかに出てこないですね(^^;)思っていたことの半分も言えなかったのですが、レジュメも配布したし、その後の反響は悪くないので、ぎいぎり合格点をあげてもいいのかな。うーむ。

明日はもう少し関係者と話をして、本屋をのぞいて、翌々日早朝には帰国です。明日は少しゆっくりできるでしょう。やれやれ。
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雪の降る街を…


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書店から歩いて三〇分ほどのところにある大恒光盘店(海淀区中关村大街22号 010-62628397) という映画、テレビドラマからパソコンソフトまでCD,DVDなら何でも扱っているという便利な店があるので、そちらに向かいます。小降りの雨と時間の関係で、えいっとタクシーを拾い、店へ。このとき、このタクシーで素直に宿まで帰っていれば何事もなかったのですが、そのときは買い物したい一心ですから、どうにもなりません。
思ったほど収穫が無くて、少々がっかりして店を後にした後、雨は既に本降りとなっていました。慣れないバスで帰るのも面倒ですから、やはりタクシーを待ちます。ところが、いくら待っても空車はなく、時間を見れば6時過ぎなので、これは仕方ないと諦め(これもまた失敗)、100メートルほど歩いたところで、食事をします。100メートルしか歩いていないのにずぶぬれ状態なので、コートを脱ぎ、温かいお茶を飲みながら暫く放心状態でレストランのテレビを見ながら食事をします。ちょっと間をおけばタクシーも拾えるだろう…ぐらいの考えでした。
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圣诞节快到了!

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帰宅途中、久しぶりに池袋で下車(だいたい有楽町線で素通り)。
東武地下のプリズムガーデンには巨大なクリスマスツリーが飾られていました。まだ早いんじゃないの?と思ったのですが、十一月も末、そのうち街角ではジングルベルが鳴り出すでしょう。子供の頃はジングルベルの調べに心躍らせたものですが、何時の頃からか、今年も終わってしまう…という焦燥感とともに聞くようになってしまいました。
いやはや、オジサンというのは悲しい存在だな(^^;)
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